私の毎日は実験の連続である

色々な試行錯誤の記録。家事、育児、健康のことなど。

うちのばあちゃんは「かまってちゃん」だった

 

先日祖母が亡くなった。

 

故人を悪く言うつもりなど全然ないのだが、正直なところ本当に困った人だった。

上のリンクを見てくだされば、まさにその通りの人間である。

自分の意見を曲げない。

何かと「調子が悪い」と言って気を引こうとする。

小学生の放課後の預かり活動をして、子どもたちの世話に異常なまでに情熱を注ぐ。

日本舞踊を始めてド派手な着物で舞台に立つ。

普段はすっごく偉そうなのに、やたらに手紙を書き「ありがとう」や「感謝」を多用する。

そういう、典型的な「かまってちゃん」が祖母という人だった。

 

私は中学生になった頃から、思春期特有の潔癖さで祖母を避けるようになった。

この人は何でも自分の思い通りにならないと気が済まないんだ。

それが透けて見えて本当に嫌だった。

弟は弟で、私(というか女性)をえこひいきする祖母には近づかなかった。

母だけが、根気よく祖母の面倒を見ていた。

 

祖母が間質性肺炎と診断されたのは5年前。

さらに糖尿病、レビー小体型認知症を発症。

「毒を入れられた、殺される」と点滴を自分で抜いてしまうことが続き、攻撃性と幻覚が激しく、病院を追い出されて転々としながら入院生活を続けていた。

みんなに、本当に大変な苦労をかけて祖母は亡くなった。

最期に家族は誰も間に合わなかった。

 

亡くなってからお葬式には少し間が空いたのだが、その間祖母の部屋を片付けた。

部屋を埋め尽くす箪笥とたくさんの着物に呆然とした。

ひとりでは重くて動かせない家具の後ろにゴキブリの死体を発見して叫んだ。

ふと気がつくと母は泣いていた。

ふたりで写真や日記を整理して、いちいち書かれている「感謝」の文字にちょっと笑った。

「病気だったんだよ。」

と母は言っていた。

祖母の言動は病気のせいだったんだと。

昔から躁鬱状態を繰り返していたのも、やっぱり心の病だったんだと。

 

お葬式ではみんな祖母に倣って「ありがとう」と言った。

父だけが「ごめんね」と言った。

優しくしてあげられなくてごめんね、楽しいことをさせてあげられなくてごめんね。

私たちは十分祖母に尽くしたんだと思う。

それなのに、冷たい蝋人形のような祖母に触れれば「もっと楽しい晩年を送らせてあげることができたのではないか」という後悔が湧いてくる。

それこそ、ばあちゃんの思う壺だと分かっていても。

もっと私が大人になれば。

もっと楽しく過ごせたかもしれなかった。

冷たくしてごめんね。

そして、いつも私を好きでいてくれてありがとう。

 

〈終わり〉

 

日記なんて処分しよう。

とにかく荷物を整理しよう。

お葬式も戒名もいらない。